沿革
昭和 7年(1932)
初代 中塚国二
中塚洗染店として創業
昭和20年(1945)
年代は定かでないが終戦まじかの神戸大空襲により里である相生に疎開
昭和21年(1946)
年代は定かでないが戦後神戸に戻り中塚洗染店を再開
昭和52年(1977)
二代目 中塚国男
初代中塚国二死去に伴い中塚クリーニングとして承継
平成 7年(1995)
阪神大震災により中塚クリーニング店が倒壊
幸いドライ機・水洗機は無事だったので、改築し再開。
平成23年(2011)
三代目 中塚雅一
二代目中塚国男死去に伴い中塚クリーニングを承継。
屋号を「Royal MIYABI(ロイヤルミヤビ)」とし、高級店として発信。
現在に至る
プロフィール
かつて日産で二級整備士として従事し、三十歳を期に家業のクリーニング業界に転職。世襲を嫌い他店で六年の見習いを経て独立。
一見自動車とクリーニングは水と油の真逆の世界のように思われるが、自動車業界の顧客管理レベルは非常に高く、当時顧客管理より商品管理を重視するクリーニング業界において、お客様の気持ちを「わかってくれる店」として大評判になった。
平成七年阪神淡路大震災の年、息子の小児ガンの経験から医学にも精通する。皮革製品メンテナンスのエキスパートとして他店との圧倒的な違いはこの医学の知識を駆使したいわゆるスキンケア―を取り入れてる点である。手先の器用さと知識を武器にクリーニングメンテナンスの向上に努力してます。
衣料品というファッションに一番精通した業界に属しながらファッション的センスを意識したクリーニング店が少ないことにジレンマを感じ、感性の重要性を説いて特に個人店の高級化支援に努めている。
経歴
昭和32年
昭和32年10月4日中塚家長男として神戸で生まれる
昭和38年
神戸市立摩耶小学校入学
昭和44年
神戸市立上野中学校入学
化学大好きで化学クラブ入部
昭和47年
神戸市立葺合高等学校入学
剣道部入部
昭和50年
大阪産業大学工学部交通機械工学科入学
昭和55年
大阪産業大学工学部交通機械工学科卒
卒論テーマ 「太陽光エネルギーと蓄熱」
国家資格2級ガソリン整備士取得
国家資格2級ディーゼル整備士取得
国家資格危険物乙種取得
有機溶剤作業主任者資格取得
同年
兵庫日産モーター(株)入社
整備士、検査主任として5年勤務。営業として3年勤務。
昭和60年
クリーニング師資格取得
昭和62年
独立を意識し、30歳を機に兵庫日産モーター(株)を退社。家業であるクリーニング業を目指すが親の跡継ぎを嫌い、平和パーククリーナー(株)勤務し修行に入る。
集中工場としての機械管理と生産システムを学ぶ
平成4年
より高品質な仕上げを意識するようになり、神戸では定評のある高級クリーニングの西島ドライクリーナーの門をたたき、入社。
高級の仕上げ技術と品質管理を学ぶ
平成6年
8年の修行からいよいよ独立を決心し、中塚クリーニングの姉妹店を開店
平成7年
阪神淡路大震災に被災し中塚クリーニング店倒壊のため統合支援する
小さなドライ機が無事だったので何とか仕事ができた。被災後一週間で店を稼働させる。まずは寒い時期でもあったので地域被災の方々のために毛布をクリーニング。
元気神戸の一人として被災者のクリーニングサービスをする。
同年
2歳になる息子が悪性リンパ腫(小児癌)とわかり、仕事の傍ら何もわからない医学を独学で勉強。
その道の人間関係を構築しドクターの治療を民間レベルでバックアップ。
メンタル面を含め多くの患者家族らの支援を行う。
平成18年
「ダントツ差がつくクリーニングのこだわりブログ」の山崎勝氏にひかれ、同年山崎氏が発足した会員制のDCC(クリーニングダントツクラブ)に初期メンバーとして参加。しみ抜きは化学であることを実感する。
平成19年
皮革製品や特殊品のクリーニングも手がける工房として中塚クリーニングみやび店を開店
これまで確立していない皮革メンテ技術を持ち前の知恵とユニークな発想で構築する。
平成20年
共に技術の優れたDCCの仲間大阪のクリーニングCOZY代表の益田浩二氏と京都の象屋クリーニング代表山口郁夫氏と三人で「三都会」を結成。関西におけるクリーニング業界の技術の重臣となる。
平成23年
二代目中塚國男の死去に伴い、正式の三代目の跡継ぎとなる。屋号を「Royal MIYABI」に改名し本格的に高級店として始動。
FaceBookを通じて染み抜きの伝道師と呼ばれるサン京都の石塚保博氏に技術を認められ、石塚氏によって業界の著名人との親交が深まる。
平成26年
仕事の流儀プロフェッショナルに出演のクリーニングの神様こと東京レジュイールの古田武氏と出会い業界内の方向性について意気投合し、以後交流を深める。
平成27年
黄綬褒章受賞の仕立て職人、神戸マイスターの佐伯博史しにテーラープレスを御指南頂き、メンテナンスの立場でのロイヤルプレスを独自に考案する。
平成28年
旧の店舗が手狭になったのをきっかけに現在の「Royal MIYABI」に移転し自らデザインした店舗で営業を始める。